三十年以上前の話になる。
 坂上浩二の父親の友人に紛争地域を専門に取材する写真家がいた。久しぶりに帰国した友人を歓待し、父親は酒量を過ごして眠り込む。母親は汚れた食器を重ね、台所へ引っ込んだ。好機とみて浩二は彼に尋ねる。
「死んだ人ってどんな感じ?」
 両親の前では叱られると思い、浩二はずっと黙っていたのだった。彼は驚いた顔になったが、機嫌を損ねたふうではない。
「そうだなあ」
 悩ましい羽音に気付き、二人はそちらへ顔を向けた。蚊が眠っている父親から吸血しようと肘へ降り立つ。父親は無意識に自分の腕を叩いた。しかし、場所は的外れである。蚊は再び、浮遊を始め、浩二のほうへ近づいてくる。その途端、大きな掌が容赦ない音を立てて打ち合わされた。
 彼は、浩二に掌を示す。
「こんな感じ?」
 父親の血にまみれ、蚊は無残に潰えていた。
	
 浩二は、それ以来、『生命』に興味を持ち始める。大学では医学を学び、医師となった。
	
『ラザロ』が初めて現れたのは、アフリカ中西部だと言われている。
 その日、男は、家族のため焼き畑農業に勤しんでいた。焼き畑は、長期間の休耕を前提に考えれば利点の少なくない農法である。焼き払われた土地に残る植物の灰と土を混ぜながら、男は畑に整えた。
 丸く平らな土地の向こうから何かが響いてくる。獣の唸り声に似ていた。男は即座にライフルを構える。火を嫌う動物たちは通常、畑へ近寄ることはなかった。しかし、森では何が起きても不思議ではない。声はますます近づいていた。
 現れたのは人間である。男は息を吐いて銃口を下げた。声をかけようとして後ずさる。よろめきながら歩んできたのは、先月、死んだ弟だった。
 これが生ける屍『ラザロ』のもっとも古い記録である。
 その後、死者の蘇りは頻繁となり、彼らに接触した者たちも不死の怪物『ラザロ』となった。彼らは食物の摂取を要しないにもかかわらず、人肉を好んで貪る。言葉も理性もなく、人間の肉を求めてさまよう餓鬼の群れであった。
	
 当初、オカルト扱いされ、『ラザロ』は公式のニュースに取り上げられなかった。だが、一雨ごとに汚染地域は拡大し、たちまち世界中に広がる。乾燥地帯は比較的、感染速度が緩慢だったため砂漠の不動産価格は急騰していた。一部の富裕層は集結し、自家発電システムを備えた地下シェルターに立てこもっているという噂である。
 それから半年の間にテレビ、ラジオ等の報道機関は統制下に入り、渡航は厳しく制限された。しかし、政府がどれほど分断に腐心しても不死者は増え続け、人間は減少の一途をたどる。感染経路は生ける屍たちとの接触の他、降雨が媒介しているらしいことが推測されていた。
 彼らの引き起こした不都合は、不死者というだけに留まらない。問題はカニバリズムだ。昼夜問わず歩き回り、人間の肉を求めてさまよう。考えもしなかった災いが人類を恐慌のどん底へ陥れていた。
「もう少しだから我慢してくれ」
 四輪駆動車両の運転席から後部座席を振り返り、坂上浩二は声をかける。後部座席には長辺が一メーターほどのコンテナが積まれていた。蓋は閉ざされ、荷造りに使うベルトで幾重にも固定されている。コンテナは、走行している車中にある事実だけでは説明のできない振動を起こしていた。内側からくぐもった声が響いてくる。
 浩二は車を停め、コンテナを二回叩いた。
「行儀良くしてないと駄目だろ? 崖から落としたり、海に放り投げちゃうかもしれないぞ?」
 振動は静まる。声音は、すすり泣きに転じていた。
	

[2014年 月 日] (c) 2014 ドーナツ