浩二は朝食を口へ運びつつ、ダイニングキッチンのカウンター越しにテレビを見ていた。
『国道沿いの食料品店「萬屋」の店主、河野圭吾さんが店舗内で亡くなっているのが発見されました。共同経営者であり妻の……圭吾さんは頭部を散弾銃で』
 頭を振り、ベビーフードの蓋を開く。
「物騒だねえ。戸締りに気を付けないといけないな」
 作業台に皿とボウルを並べた。ボウルを水で満たし、小さな壜の中身をすべてを皿に空ける。
「昨日から何も食べてないからな。お腹空いただろ?」
 鶏レバーのペーストだ。
「はい、どうぞ」
 大型犬用のケージの中に女が蹲っている。坂上真帆だ。皿とボウルの載ったトレイを差し入れると匂いを頼りに近づき、口だけでペーストを貪っている。咀嚼音に浩二は顔をしかめた。
「抜歯したから仕方ないけど、ちょっとがっかりだなあ」
 手指の爪も剥されている。真帆の白濁した目から涙がこぼれていた。
	
 真帆から渡された用紙を浩二はテーブルへ放り投げた。
「何の冗談だ?」
 真帆は浩二を指差し、声を荒げている。だが、何を言っているのか浩二には聞き取れなかった。
「何だって? 聞こえない」
 憐れみと軽蔑が真帆の瞳に揺らめいている。
	
 浩二は、午睡から飛び起きた。夢の内容は思い出せない。しかし、恐ろしい夢だったことは確かだ。不安に身を震わせる。もう気にかけるべき心配事はひとつもないはずだ。
 彼と妻の間に立ち塞がっている問題は、人類の不本意な不死化『ラザロ』だけである。
 洗面所で顔を洗い、浩二は鏡に映っている己を眺めた。目の下に隈が浮いている。浩二の口から思わずため息が漏れた。彼は来年、四十才になる。若さの残滓を見い出そうとしても無駄な努力だ。
 浩二は身支度を終え、ライフルを装備して外へ出る。敷地内の見回りだ。不死者たちは生前の生活に習う行動が主体だが、『旅』と呼ばれる集団移動に順ずる場合がある。即ち、神出鬼没なのだ。真帆と己の安全を守るため常に気を配る必要があった。
 夕刻には早いが、山道は既に薄暗い。天気のせいもあるのだろう。空に雲が重く垂れ込めていた。
 ちらつき始めた雨に浩二は、前方へ視線を戻す。見知らぬ男が、こちらへ近付いていた。
 不死者である。警官の制服を着用していた。浩二は問答無用に相手の頭を吹き飛ばし、別荘へと駈け戻る。
	
 別荘の部屋という部屋を調べ、戸締りをする。幸いどこにも不死者の姿はなかった。だが、安堵したのもつかの間、外から恐ろしい叫び声が耳を劈く。人間では絶対に発声不可能な拡声器を通したような大声だ。
 慌ててブラインドに隠れ、窓を見やる。周囲は不死者の群れに取り囲まれていた。
 彼らは何事か怒鳴ったり、金切り声を上げている。もちろん浩二には、まったく意味不明の雑音だ。しかし、悲しいかな彼らの仲間である真帆には理解可能なのだろう。ケージの中から叫び出す。
「真帆。大丈夫だよ。ぼくがついてる」
 宥めるが、彼女は恐怖のあまりケージの柵へ突進していた。狭いケージの中で暴れれば、負傷は避けられない。浩二はやむなく真帆に筋弛緩剤を投与した。
「すぐ済むからね。ぼくが必ず助けるよ」
 真帆はケージの中で痙攣している。呼吸不全を起こし、空気を求めて喘いでいた。
 裏口を破ったのだろう。廊下に面したドアから不死者たちがなだれ込んでくる。浩二は、銃口をくわえるべく口を開いた。だが、引き金を引くより早く、大勢の腕が彼を押さえつける。発射された銃弾が壁にめり込んだ。
	
「被疑者、確保!」
 捜査員の一人が無線に向かい、宣言する。
「被害者と思われる女性一名。意識不明」
 坂上浩二は拘束され、別荘の外へ連れ出された。担架に載せられ、坂上真帆が運び去られる。
「あの男は? 何かしゃべったか?」
 玄関から庭に出た捜査員が比較的若い同僚に話しかけた。
「それがわからないんですよ。ラザロがどうとか。蘇りが何だとか言ってますけど」
「……ラザロ? 何だそれ?」
「さあ。俺にもさっぱりです」
 捜査員はポケットから使い捨ての手袋を取り出す。しかし、不快な羽音を追い、手袋をポケットへ押し込んだ。狙いを定め、手を勢い良く打ち合わせる。
 広げた掌で蚊が拉げ、痙攣していた。
	

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