大学三年の秋、俺は父から乞われ、三カ月だけ一人暮らしをした。
 転居先は、遠縁の経営する築三十年のアパートである。取り壊しが決まっていたため新規の契約は行っておらず、部屋はほぼ空室だった。
「じゃあ、頼んだよ。空き家にしておくといろいろ物騒なんでね」
 鍵を手渡しながら、祖父の従妹の息子である家主が口を開く。鍵は旧式のレバータンブラーだ。男子学生の部屋にセキュリティは不要というわけか。
 ともあれ俺は六畳と四畳二間のシャワー、トイレ完備物件に居を得た。
	
「出るって何? 幽霊とか?」
 大学のカフェテリアで卵サンドを摘まみつつ、俺は頷く。
「面白そうじゃない! 遊びに行ってもいい?」
 老朽化したアパートは、心霊スポットだった。
「いいよ」
 出現するのは髪の長い美女である。彼女は部屋の中を縦横無尽に歩き回り、風呂にまで浸かっていた。十二時になるとベッドへ入り、眠ってしまう。そのために俺はソファーで毛布に包まり夜を過ごしていたのだった。
「何か買ったほうがいいよね? ビールと、あとおつまみ? リクエストある?」
「ないけど、今日は勝負下着でお願いします。こないだのアレはチェンジで」
 俺の軽口に清子は顔をしかめる。
「くたばれ!」
 清子は俺を一喝し、席を立った。
	
『幽霊』は現れなかった。
 俺と清子は遠慮なくベッドを使い、性行為に没頭する。
 清子とは、付き合い始めて一月ほどだ。双方たいした経験がなかったためか、はたまた体の相性が悪いのか。あれこれ試し、ようやく興に乗ってきた矢先だった。
 ふと視線を感じ、俺は部屋の入口へ目をやる。姿は見えなかったが、気配はあった。件の『幽霊』に違いない。
 俺は扉へ向かって手招きした。
「何してるの?」
「入って来たいのかな、と思って」
 吸血鬼が乙女の部屋を訪うには、許しが必要だと聞いたことがある。幽霊も同じなのではないかと考えたのだ。
「……幽霊?」
 振り向いた清子は訝しげに首を傾げる。彼女には何も感じられないようだ。
「たぶん」
「とりあえず、終わらせてからにしない?」
 もっともな話である。
	
 見当違いも甚だしかった。以前から幽霊は、家中を闊歩している。許しもへったくれもないものだ。
 八時きっかりにドアの開く音がする。実際のアパートのドアとは、まったく別の方角だ。音自体も重厚な金属の扉のようである。
 疲れた足取りで現れ、床へ荷物を投げ出していた。壁を抜け、何処かへ歩いて行き、風呂上りらしき湯気を立てながら戻ってくる。髪を拭い、ドライヤーで乾かしていた。腰かけているのは、おそらくソファーだろう。だが、俺の部屋の家具ではなかった。リモコンを操作していると思しき仕草をみせ、目は一点を追っている。
 その間、まったく俺に頓着する様子はなかった。
 女は、俺の部屋とは別の間取りを持った空間に住んでいる。ベッドの位置だけは重なっているのか、同じ場所で休んでいた。
	
 それ以来、清子は、俺の部屋を訪ねるのを厭うようになる。二度と足を踏み入れようとしなかった。
	

[2014年 5月 22日] (c) 2014 ドーナツ