荷物をすべて積み終え、俺は仮初の住処へと目をやった。景気の上昇期に建てられた集団住宅は、廃れて侘しい。
	
 三人の被害者の写真と銘打たれた映像がニュースに流れていた。三点の画像は被疑者の好みが色濃く表れている。明らかな類型だ。しかし、彼女たちは特段、美しいわけではない。
 画像処理ソフトを使い、写真をパーツに切り刻んだ。一つ一つの造詣は凡庸で見るべきものはない。だが、組み合せ、大きさを調整していくと美しい女が浮かび上がってきた。
『彼女』に似ている。
 俺は、とうとう彼女を見つけたのだろうか。それとも失ったのか。具体的な造形は、ぼやけて滲んだ。俺は『彼女』を正確に思い出すことができなくなっていた。
 画像を削除した途端、おぼろげな面影さえ掻き消える。
	
 その夜、幽霊騒ぎが起きてから初めてベッドで休んだ。
	
 見上げていたベランダのすりガラスに人形の影が映りこんでいる。手足の細長い痩せた形状で輪郭は不規則に震えていた。影は緩慢に移動し、引手へ届こうとしている。
「車の準備できたぞ」
 父の声に俺は振り返った。
「何だ? ああ、あれだろ? どこだ? 『パンツの君』は」
 俺は顔をしかめる。
「……何?」
「幽霊だよ。名前がないと不便だろ? それにな。文字を当てはめたほうがいいらしいぞ」
「文字?」
 父は腕組みし、しばらく唸っていた。
「ほら、あれだよ。心霊番組? オバケの先生が言ってたぞ。名前がなかったら何にでもなれる」
 意味不明である。改めて、眺めたすりガラスは白く濁り、何の影も形もなかった。
	
「パンツも見せないような女は止めとけ。生物として正しくない。こないだのあの子どうした? 人間のほう」
 清子のことだろう。
「別れた」
「……そうか」
 父と中型の貨物車に乗り込んだ。
「小父さんな。引っ越し代を弾んでくれたんだ。だいぶ儲かったからビールでも買って帰ろう」
 俺は、ダンボールが二箱並んだだけの貨物積載部へ目をやる。
「母さんって、どんな女だった?」
 俺と父の間には共通項がほとんどなかった。話題は、両方が知っている女の事柄くらいである。
「普通だ」
 信号待ちを利用し、父は煙草に火をつけていた。
「パンツは見せてくれたしな」
 それは俺が生まれる要件として必須である。
「……女に騙された気がする」
 俺の言葉に父は吹き出した。
「まあ、しかし。どの女と付き合っても結局は同じかもな。ミトコンドリアは単一らしいから」
 無茶苦茶な理屈である。
「元気出せ。母さんがおまえの好物を作って待ってるぞ」
 俺の好物だと祖母が思い込んでいる料理だ。
「あれ、あった? 小さい魚を煮た甘いヤツ」
「ああ、あれな。俺は大嫌いだが」
 祖母に対し、父が不平を漏らしたことはない。
「俺も」
 祖母の料理は、可もなく不可もなかった。
	
 車道へ設置された街灯が一斉に点り始める。
 俺は、ここ三カ月に邂逅した女の風貌を思い起こしていた。どの女も今や傍に居ない。想像するに俺は魅力的な個体ではないのだろう。幽霊さえ歯牙にかけようとしないのだ。
	
 玄関へ入ると祖母が石を打ち合わせている。隅に盛り塩まで積まれていた。仰々しさに面喰い、俺は框で靴を脱ぎながら父を見上げる。
「幽霊の話をしたからかな?」
 厄除けというわけらしかった。
「あの石、何?」
 祖母の手の中の石は、火花を放っている。
「火打石だ。実家が拝火教なのかね」
 俺は、久しぶりに線香の臭いを嗅いでいた。
	

[2014年 5月 22日] (c) 2014 ドーナツ