男の一人暮らしの部屋は、とっ散らかっているか埃ひとつないかのどちらかになる。有難いことに龍平は後者だ。
「通帳や印鑑もないんです。あの女が持ち出したに決まってる!」
 パソコンデスクの脇にある書類棚を実加は探っている。
「……これって警察へ届けたほうが?」
「星野さんは成人されています。休日に部屋を留守にしているくらいでは取り合ってもらえないでしょう」
 圭介は本棚に置かれた写真立てを眺めていた。実加と若い男が並んで写っている。
「お兄さんですか?」
 肩を落としていた実加は笑顔になった。
「はい。私と兄です」
 実加の身長は百六十前後であるから、星野龍平は百七十センチそこそこといったところか。男としては小柄だ。押入れの衣装ケースに女物の衣服、下着が納められている。服のサイズから察するに龍平の恋人は、かなり体格の良い女のようだ。
 ローテーブルの上にブックマッチが置かれている。店のレジなどに積まれているサービス品だ。整理整頓された室内の中で無造作に放り出された艶のある紙片は、どことなく異質な印象である。
 裏に喫茶店の店名と住所、電話番号が記載されていた。
「嫌だ、兄さん。また煙草を始めたのかな? 体に悪いっていつも言ってるのに」
「状態が綺麗です。横薬に擦った跡もない。最近、持ち帰られたものじゃないでしょうか?」
 カバーにアジサイのイラストが描かれている。
	
 その喫茶店は神田川に近い西新宿の一角に存在していた。昔ながらの純喫茶というやつで酒類を扱う現代的なカフェではない。
 店内を見回し、実加の目撃した龍平の『恋人』と風体が一致している人物に当たりをつけた。
「同席してもよろしいですか?」
 言葉は丁寧だが、圭介は返事も待たずに席に着く。水とおしぼりを持ってきたウェイトレスにコーヒーを頼んだ。
「星野さんをご存知ですね? 私は、星野さんの妹の実加さんから依頼を受けた探偵です」
 戸惑っていた相手は、圭介の名刺と実加の名前に目を丸くしている。
「彼女は、あなたと星野龍平さんの関係について危惧しています。具体的には、詐欺などの犯罪に巻き込まれているのではないかという懸念です。このままだと警察へ通報しかねません」
「……困ります。警察だなんて」
 女は口籠っていた。
「面倒事は、こちらも望んでいません。そういうわけですから、速やかに星野さんの所在を明らかにしてください」
「……あの。おわかりなんですよね? ……その」
 頭髪を掴み、女はウィッグを取り去る。現れたのは、化粧した若い男だ。
「ええ、お目にかかるまで確信は持てませんでしたが。……妹さんに連絡しても構いませんか?」
 星野龍平は渋々、頷いている。
	
「『自由』になれる気がするんです」
 素人劇団の裏方を手伝ったのが切欠だという。初日に役者が足りなくなり、女優の代役を務めたのだそうだ。
「ぼくは子供の時から、両親に期待されていました。受験する学校のレベルから就職する会社のランクまで」
「期待が重荷だった?」
 龍平は首を横に振る。
「いえ、そうは感じていませんでした。ぼくは、周囲の人より優れていた。両親が喜んだり、妹が頼ってくれるのも嬉しかった。……しかし、この結果を見れば、そうじゃなかったんでしょうね」
 実加の結婚を機に本当の意味で自由になった龍平が選んだのは『女装』だった。
「実加さんが、部屋で待っています。着替えをされたいのであれば、どこかご用意しますが?」
 龍平はウィッグを被り直し、立ち上がる。
「妹には、本当のぼくを見てもらおうと思います」
 ウェイトレスがテーブルにコーヒーを運んできた。圭介は新しい灰皿を頼み、懐から煙草を取り出す。ここから先は、探偵の領分外だ。
	

[2014年 9月 6日] (c) 2014 ドーナツ