屋敷は見事に焼け落ちていた。
 大正の時分に財を成した曽祖父が建てた洋館である。歴史的価値はあるのかもしれないが、役目を終えてもいい頃合いだ。
 炭化した木材を蹴飛ばしながら、俺は物思いにふける。葬式の手筈は、檀那寺が整えていた。先月、父の葬儀を行ったばかりだから名簿やら何やらは、すべて揃っているという。俺のすることと言えば、弔問客に頭を下げることぐらいだ。
 幸い通帳、証券類、不動産の登記書類は、耐火金庫に納められており、焼失を免れている。遺言書はなく、妹は未婚だったため法定相続人は俺になるのだろう。現在、財産目録を会計士が鋭意作成中だ。

「家中にガソリンを撒いて自分でも被ったらしいのよ」
 葬儀の席で遠縁の叔母が身震いしている。
「あんな綺麗な子が。とても信じられない。ぞっとしちゃうわ!」
 洋子は、果敢な女だった。こうと決めたら、一途にやり遂げる。子供の頃からの気質だ。
 俺は、記憶の水底を十五年ばかり遡る。
 あれは、たしか夏休みの前日だった。妹が公園の生垣の陰に隠れている。ランドセルの他に絵具の箱、大きな布のバッグを肩から下げていた。声をかけると眉を寄せ、口の前に指を立てている。俺も身を潜めるよう促された。
「あれ」
 妹の指さす先で、ベンチに腰かけた女が本をめくっている。長い黒髪が風に流れ、輝いていた。それを押さえながら、女は、また頁を繰る。夏の日差しが気にならないのか帽子をかぶっていなかった。
 不意に顔を上げ、女は俺たちのほうへ手を振った。次の瞬間、父が俺と妹のすぐ脇を通り抜けていく。俺たちに気付かず、手を振り返していた。
 二人は何事か談笑している。父が女の肩を優しく押しやった。そのまま女の背中を撫でている。女の笑い声が、俺の耳にまで届いた。
 突如、妹は立ち上がり、公園を外周する遊歩道へと飛び出す。慌てて追いかける俺を尻目に自宅へ続く道を急いでいた。
「……あれ、誰?」
「知らない!」
 妹は、即座に答える。
「知らないって、何だよ? ふざけんな」
 苛々した俺は、妹を蹴飛ばした。
「止めて! 知らないんだったら!」
 これ以上、暴力を振われたくなかったのだろう。妹は一目散に駈け出した。

「そうなの。妊娠してたんですって! もう驚いちゃったわよ」
 翌日、玄関先で中年の女と家政婦が話している。
「中学校で先生をされていたんでしたっけ?」
「それも産休の先生の代理。恥知らずにもほどがあるわよね、まったく」
 女は憤慨頻りだ。
「未婚の先生が妊娠よ。外聞が悪いったら。子供になんて話せばいいのかしら? 頭が痛いわ」
 中学校の臨時教員が事故に遭ったというのが女の言である。
 夏季休暇の間、プールは生徒を対象に解放されており、交替で数名の教員が監督にあたっていた。件の臨時教員は生徒を帰宅させた後に見回りを行っている途中、何かの拍子にプールへ滑落したらしい。
 救急車で病院へ搬送される間に彼女は、十一週に達していた胎児を流産した。
「若いお嬢さんだし、髪を背中のほうまで伸ばしてらして本当に素敵でした。とてもそんなふうには見えませんでしたけど」
 彼女は既に町を出て実家に戻っている。そこまで聞いて興味をなくし、俺は踵を返した。すぐ後ろに立っていた妹にぶつかりそうになる。
 面喰っている俺を置いて妹は廊下をかけ去った。
	

[2014年8月10日] (c) 2014 ドーナツ