夏になると妹が学校から帰省した。俺の心配をよそに義母と妹はすぐさま打ち解ける。まるで姉妹のように睦まじかった。
 明るい笑い声が家に満ちる。流産の件が祟り、この町に義母と付き合おうとする者はいなかった。父の手前、表立って非難はしないが、コミュニティからは完全に排斥されている。彼女は、俺には想像もつかないほど孤独だったのだ。妹の存在は、彼女のいい気晴らしになったのだろう。
 猛暑にうだる八月の末、山の出入りを許可している猟師がかけ込んできた。崖下で人間の死体を見つけたと言う。警察に連絡し、俺と父は現場に向かった。

 見覚えのあるワンピース姿の義母が岩場に倒れている。岩に打ちつけられたのか腕は折れ、首はあらぬほうへ曲がり、背骨の位置も正常ではなかった。足の間を汚している血と肉塊はおそらく俺の兄弟だろう。
「目を閉じても構いませんか?」
 父が警官に断りを入れ、半壊している義母の顔に触れた。いくらか形状を保っている義母の左目を瞼で隠す。
 その瞬間、俺の頭にある光景が閃いた。数年前、庭に転がっていた母の死体である。母が死んだ時も父は今と同じことを言った。今と同じように警官が道を開け、父は母へ屈み込む。倒れている義母の姿は、折れ曲がった腕の位置まで母の死体と似通っていた。

「大好きだった。ごめんなさい」
 通夜の席で妹は泣き通しだった。腕に包帯を巻いている。
「猫に」
 そう俺に答え、忌々し気に腕を擦っていた。

 大学の合格と同時に俺は家を出た。卒業後は大学のある街に就職し、実家への足は遠のく。
 妹から電話があったのは、外回りを終え、クーラーの風に涼んでいた矢先だった。
「お父さん、倒れたの。今すぐどうこうはないけど、近いうちに戻ってきて」
 卒中だと言う。上長に報告し、呆気なく早退、欠勤を許可された。

「ここに住むつもり」
 妹は実家に戻り、父の面倒みると言い出した。
「教会の仕事は、こっちでもできるから」
 父は半身不随に陥っている。看護婦を雇うにしても、若い女が実家に縛られるのに益はなかった。しかるべき施設に父を入所させるよう勧めたが、頑として聞き入れない。
「兄さんは心配しなくていいの。お父さんの子供じゃないんだから」
「……どういう意味だ?」
 妹は首を傾げた。
「だって、お父さんがそう言ってたよ」
 不思議そうにしている。

 俺に問い詰められても父は黙していた。麻痺で言葉が覚つかず、筆談しようにも手の震えが止まらない。それより何より父には、話す気がなかった。
 業を煮やした俺は、父を詰る。母の死、義母と二人の胎児の死をすべて父に負わせて怒鳴った。だが、妹の名を口にしそうになり、俺の言葉は立ち消える。
 その時、茫洋としていた父の目玉が動き、俺を捉えた。口がゆっくりと開く。息を吐く音が断続的に響いた。
 父は笑っていたのである。それから定まらない指で俺と自分を指差した。
「……な……お……あ、あ」
 何の意味もなさない音の羅列。しかし、俺には間違えようもなく、ある警句が伝わってきた。
『同じ穴の貉』
 堪らず、父の部屋から飛び出す。入れ違いに入ってきた看護師の女に俺は目を奪われた。背格好、年の頃が母と似通っている。
「どうもありがとう」
 部屋の外に妹が立っていた。俺は背筋が寒くなる。妹の容姿は母の踏襲であると、その時、初めて気づいたのだった。
	

[2014年8月10日] (c) 2014 ドーナツ